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最高裁判所第一小法廷 平成9年(行ツ)187号 判決 1997年12月18日

東京都新宿区西新宿二丁目一番一号

上告人

シチズン時計株式会社

右代表者代表取締役

中島迪男

右訴訟代理人弁理士

高宗寛暁

東京都千代田区霞が関三丁目四番三号

被上告人

特許庁長官 荒井寿光

右当事者間の東京高等裁判所平成六年(行ケ)第三八号審決取消請求事件について、同裁判所が平成九年五月一四日言い渡した判決に対し、上告人から全部破棄を求める旨の上告の申立てがあった。よって、当裁判所は次のとおり判決する。

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人高宗寛暁の上告理由について

所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができる。右判断は所論引用の判例に抵触するものではなく、原判決に所論の違法はない。論旨は、原審の専権に属する事実の認定を非難するか、又は独自の見解に基づき若しくは原判決を正解しないでこれを論難するものにすぎず、採用することができない。

よって、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 井嶋一友 裁判官 小野幹雄 裁判官 遠藤光男 裁判官 藤井正雄 裁判官 大出峻郎)

(平成九年(行ツ)第一八七号 上告人 シチズン時計株式会社)

上告代理人高宗寛暁の上告理由

第一 原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな法令及び判決例の違背がある。

原審の判決理由には、法令の違背及び最高裁判所を含む多数の判決例に違背するものが記載されており、現行の審査の実務と明らかに矛盾しており、これが確定すると、現行の特許法施行規則の改訂を始めとして、特許庁の審査の実務を大幅に変更しなければならず、又、既に登録された特許権に基づく権利行使における権利範囲の解釈にも大きな影響を与え、更には、権利範囲の解釈についての従来の多数の判決例をも覆すことになるものである。

第二 原判決の判決理由

原審の判決書には、『第6 当裁判所の判断』の第2項として、

一 『この記載(特許請求の範囲第1項の記載)によれば、本願第1発明の「工具進入始点位置」が、前加工の終了後、次の加工に使用する工具を所定の後退位置から最短時間で到達するように直接移動させるための目標位置であることが規定されているのみであり、切削点近傍までの早送りの経由点であることを示す記載はない。したがって、それが、従来から知られた技術概念として原告が主張する「切削点近傍」、すなわち、周知例1及び2で説明されているところの、工具の現在位置から目的の加工位置に到達するまでの間、無駄な時間を少なくするため早送りで移動させるための目標である

「工具の切削送り開始点」、「工作物の上面より適宜クリアランスを置いた位置」と、異なる技術的意義を持つものであると理解することはできない。(原審の判決書第十五頁第十九行~第十六頁第十一行)』(傍線上告人)

二 『確かに、本願明細書の発明の詳細な説明には、選択されたバイトが工具進入始点位置に早送りで送られ、次いで切削点近傍まで早送りで接近し、切削点近傍からは切削送りとなって所定の加工寸法まで送られる旨の記載がある(中略)が、これは本願第1発明の刃物台を装置したNC旋盤の1実施例(中略)に係るものにすぎず、切削点近傍までの早送りの経由点であることを規定していない本願第1発明の「工具進入始点位置」を前記実施例の記載に限定して解釈すべき理由はない。(同第十六頁第十二行~第十七頁第一行)』

三 『また、原告主張の本願第1発明の「工具進入始点位置」は、ワーク最大外径に応じてプログラム上の定点として設定された位置であるとの点は、周知例1にも、前示のとおり、工具の安全性を考慮して、加工物(ワーク)の最大外径寸法から若干離れた位置に工具の切削送り開始のための定点を設けることが明示されており、このような定点を設けることにより、工具と加工物の干渉がないように工具を移動させるという本願第1発明と同様の効果が達成できるものであることは明らかである。したがって、この点からも、本願第1発明の「工具進入始点位置」が周知技術における「切削点近傍」と相違するものということはできない。(同第十七頁第二行~第十二行)』

と記載して、本願第1発明の「工具進入始点位置」が周知技術である「切削点近傍」(切削送り開始点)と同じ位置であると認定し、これを前提にして、

四 『そうである以上、相違点3に係る本願第1発明の構成は周知技術と異ならないものといわなければならないから、これを引用例考案に適用して本願第1発明の構成とすることは、当業者が容易に想到できることと認められ、これと同旨の相違点3についての審決の判断は正当である。(同第十七頁第十三行~第十七行)』

と判断し、

五 『仮に、原告主張のように、本願第1発明における「工具進入始点位置」との用語が周知技術における「切削点近傍」と異なる技術内容を持った新規な概念であるならば、その新規な技術内容を特許請求の範囲に規定してはじめて、本願第1発明が進歩性のある発明と評価されるのであって、本願の特許請求の範囲第1項の記載に基づく限り、そのように評価できないことは、前示説示のとおりである。(同第十七頁第十八行~第十八頁第四行)』(傍線上告人)

と結論している。

これを要約すると、本願明細書の特許請求の範囲第1項の記載に、『切削点近傍までの早送りの経由点であることを示す記載はない。』こと、及び『周知例1にも、(中略)工具の安全性を考慮して、加工物(ワーク)の最大外径寸法から若干離れた位置に工具の切削送り開始のための定点を設けることが明示されて』いることのみを理由にして、

六 本願第1発明の「工具進入始点位置」は、周知技術における「切削点近傍」と同じ位置である。

七 本願第1発明における「工具進入始点位置」が周知技術における「切削点近傍」と異なる技術内容を持った新規な概念であるならば、その新規な技術内容を特許請求の範囲に規定しなければならない。

と判示しているものと認められる。

第三 原判決が破棄されるべき理由

原判決は、左記の点で、法令及び最高裁判所その他の多数の判決例に違背するものであって、破棄されるべきものである。

一 原判決は、造語であるにもかかわらず、明細書の詳細な説明を参酌することなく、特許請求の範囲の記載のみで本願特許の要旨を認定したものであって、法令及び最高裁判所の判決例に違背するものである。

1 「工具進入始点位置」の語が本願明細書における造語であること、「切削点近傍」(切削送り開始点)は周知であったこと(早送りから切削送りに移行する点であって、NC工作機械の技術分野においては技術的必然であること)については、当事者間に争いがない。

「工具進入始点位置」の語が造語であるとすれば、「工具進入始点位置」の語のみでは、工具が進入する際の始点となる位置であることは推定できるが、どの工程における工具の進入の始点となるものか、どの位置にどのようにして設定するものか等の具体的な内容については全く不明であり、明細書の発明の詳細な説明の記載又は図面を参酌しなければ、具体的な技術内容は意味不詳となることは明らかであって、『特許請求の範囲の記載の技術的意義が一義的に明確に理解することができない』ものであるあることは明らかである。

2 このような場合には、明細書の発明の詳細な説明を参酌すべきことは、最高裁判所の判決例においても明確に判示されていることである。

即ち、最高裁判所の昭和六二年(行ツ)第三号「トリグリセリドの測定法事件」の判決(平成三年三月八日言渡)(判例時報一三八〇号一三一頁、判例タイムズ七五四号一四一頁、特許と企業二六八号九頁、特許ニュース八一三一号、八一三二号、八一三六号)において、

『この要旨認定は、特段の事情のない限り、願書に添付した明細書の特許請求の範囲の記載に基づいてされるべきである。特許請求の範囲の記載の技術的意義が一義的に明確に理解することができないとか、あるいは、一見してその記載が誤記であることが明細書の発明の詳細な説明の記載に照らして明らかであるなどの特段の事情がある場合に限って、明細書の発明の詳細な説明の記載を参酌することが許されるにすぎない。』と判示して、『特許請求の範囲の記載の技術的意義が一義的に明確に理解することができない』ときには、『特段の事情』があるものとして『明細書の発明の詳細な説明の記載を参酌することが許される』ことが示されている。

3 同様な判決例は、東京高等裁判所の判決例を始めとして多数存在する。そのいくつかを左記に例示する。

<1> 東京高等裁判所昭和五四年(行ケ)第八三号「無機ガラス用防水時計ケースの構造事件」(判決言渡昭和五七年三月三一日)(特許と企業一六一号四六頁)

判示事項『そうすると、「合成樹脂製の固体リング」といえば、それ自体は、被告が主張するとおり、「ゴムや軟質ビニールのような軟質弾性体からメラミン樹脂のような硬質の熱硬化性樹脂を含む合成樹脂製の一定の形状と体積を有するリング」の意味に解するのが自然である。

しかしながら、技術用語としての観点からすると、「固体リング」と「固体のリング」とは必ずしも同一の意味に解されるとはいえず、前者の場合には単一の独立用語としての色彩を帯びているとはいえないではなく、また、本願考案の出願当時に「固体リング」なる語が慣用的に用いられていたものとは考えられないこと、(中略)したがって、「固体リング」という用語には、特有の意味を付与しようとする出願人の意図が読みとれないではない。』(中略)

『(明細書の考案の詳細な説明を参酌して、)右の「合成樹脂製の固体リング」とは、少なくとも従来技術としてパッキンに用いられていた軟質弾性体を包含しないものであることは明らかであり、しかも、それは、主としてデルリン、テフロン、ナイロン及びポリエチレンか又はこれと同程度の弾性力を有する合成樹脂製のリングに限定されるものと解される。(もっとも、そのように解することができるとしても、括弧内記載中の「固体リング等」とか「例えば……」という表現は、前記のとおり定義的記載としては不適切であって意味内容を曖昧にするものであることは否めないから、補正によって釈明されるべきであろう。)』

<2> 東京高等裁判所昭和五七年(行ケ)第二三号「上鉤と下鉤をもつ釣り鉤事件」(判決言渡昭和五八年九月二九日)(判例時報一一〇九号一二八頁、特許と企業一七九号二六頁)

判示事項『本願発明における上鉤は、特許請求の範囲において、その形状・機能が特定されているわけでないが、「上鉤」と「下鉤」とは対をなして用いられており、「下鉤」が釣針であれば(「下鉤」が釣針であることは疑問の余地がない。)、「上鉤」も釣針であると解釈するのが自然であり、且つ明細書の発明の詳細な説明の項及び図面を参酌することにより、確定的に前記のように「上鉤」も釣針であると解釈されるものであるから、被告の主張は理由がない。』

<3> 東京高等裁判所昭和六一年(行ケ)第七三号「静電荷像の現像方法事件」(判決言渡昭和六二年一二月二三日)(審決取消訴訟判決集一〇〇七号、特許と企業二三一号二八頁)

判示事項『そうしてみると、本願発明について、特許請求の範囲の記載上の不備をいうのであれば格別、両発明の比抵抗値を対比してその異同を判断する以上明細書の発明の詳細な説明の記載をも参酌して判断すべきは当然のことであり、単に特許請求の範囲に記載された比抵抗の数値だけを対比して本願発明が先願発明のそれを包含すると認定することのできないことは明らかである。』

<4> 東京高等裁判所昭和五三年(行ケ)第一一七号「蓄電池充電装置用の電圧調整器事件」(判決言渡昭和六〇年三月二五日)(審決取消訴訟判決集三五三号、特許と企業一九七号二〇頁)

判示事項『右記載(明細書の発明の詳細な説明の記載)と本願明細書添付第二図によれば、本願明細書にいう「温度補償」とは、蓄電池がその周囲温度の変化に影響され、高温時には充電量が増加して充電過剰となり低温時には充電量が減少して充電不足になることから、充電量を温度に逆比例させること、すなわち、充電電圧を温度が上昇すれば低下させ、温度が低下すれば上昇させるように電圧を調整することを意味するものと認められる。』

『以上のとおりであるから、審決は、本願発明における温度補償の意味を正しく把握せずに漫然と周知技術の一例として挙示した前記公報記載のものと同視した結果、引用例と周知技術から本願発明は容易に考え得るとの誤った結論に至ったものといわざるを得ず、違法として取消を免れない。』

4 平成六年法律第一一六号をもって、特許請求の範囲の解釈を規定した特許法第七〇条が改正され、第二項が左記のように規定された。

『2 前項の場合(特許発明の技術的範囲の認定)においては、願書に添付した明細書の特許請求の範囲以外の部分の記載及び図面を考慮して、特許請求の範囲に記載された用語の意義を解釈するものとする。』

この規定は、『特許庁編 工業所有権法逐条解説』に記載されているように、

『特許発明の技術的範囲は、特許請求の範囲の記載に基づいて定められることを原則とした上で、特許請求の範囲に記載された用語について発明の詳細な説明等にその意味するところや定義が記載されているときは、それらを考慮して特許発明の技術的範囲の認定を行うことを確認的に規定したものである。』(傍線上告人)

そして、このことは、特許請求の範囲の記載を解釈する際の世界的な傾向、例えば、欧州特許条約第六九条や特許調和条約

案第二一条第一項等にも合致するものである。

また、本願発明の出願当時の審査基準であった『産業別審査基準』及びその解説である『審査基準の手引き』には、同一性の判断について、『発明の同一性判断に際しての発明、すなわち、技術的思想の把握は、特許請求の範囲に記載された技術的事項に基づいて行ない、特許請求の範囲に記載されている技術的事項の解釈にあたっては、明細書の記載および図面を参しゃくする。』

(産業別審査基準 工作機械 産〔2〕-27-6頁)と規定され、平成5年に発行された『特許・実用新案 審査基準』には、『1.5新規性の判断の手法』の欄に、『請求項に係る発明の認定に際し、留意すべき事項』として、

『<2> 請求項に記載された用語の意味内容が発明の詳細な説明において定義又は説明されているか、又は、請求項の記載が明確でなく理解が困難であるがそれが発明の詳細な説明において明確にされている場合は、これらの用語、記載を解釈するにあたって発明の詳細な説明の記載を参酌する。(中略)

発明の詳細な説明を参酌しても請求項に係る発明が明確でない場合は、請求項に係る発明の認定は行わない。』(傍線上告人)

と規定して、審査の実務においても、一貫して、請求項に記載された用語の意味が明確ではないときは、発明の詳細な説明の記載を参酌することを明らかにしている。

5 本願明細書における「工具進入始点位置」の語は造語であることは当事者間に争いはなく、造語であれば、特許請求の範囲の記載のみでは『特許請求の範囲の記載の技術的意義が一義的に明確に理解することができない』ものであることは自明であり、この場合には、『特段の事情』があるものとして『明細書の発明の詳細な説明の記載を参酌』しなければならないものである。

本願明細書の発明の詳細な説明の記載を参酌すると、「工具進入始点位置」は、

<1> 特許請求の範囲第1項に記載された『所定の工具による加工の終了後その工具の所定の後退位置から次に選択された工具の工具進入始点位置に最短時間で到達するように直接移動させる』ための、次に選択された工具の移動の目標位置であると共に、

<2> その位置については、『工具進入始点位置は、バイトの主軸中心に向って進入する送り方向に沿い、ワーク最大径dよりわずかな距離aだけ離れた位置に設定されており、(原審の判決書第十一頁第十八行~第二十行)』

<3> この位置を選択することにより、『第3図にバイト21eの移動経路のいくつかが示されているように、(本願発明の特許請求の範囲の前段に記載されているような構成の刃物台では、)どの経路を通っても他のバイト相互間又はワークとバイトとの間に干渉することは全くなく、最短の時間で到達するように設定することができる。(同第十二頁第二行~第六行)』ので、「工具進入始点位置」までの工具の移動は、ワークとバイトとの間の非干渉領域を設定してその非干渉領域を移動するものであり、

<4> 且つ、『選択されたバイトが工具進入始点位置に早送りで送られ、次いで切削点近傍まで早送りで接近し、切削点近傍からは切削送りとなって所定の加工寸法まで送られる(同第十六頁第十二行~第十五行)』ための、「切削点近傍」(切削送り開始点)まで早送りで進入する途中の経由点である

ことが理解される。

6 従って、本願明細書の発明の詳細な説明の記載を素直に参酌すると、本願発明における「工具進入始点位置」は、切削送り開始点である「切削点近傍」とは当然に異なる位置である。

また、前記したように、「工具進入始点位置」の語は造語であこと、「切削点近傍」(切削送り開始点)が周知であったこと(技術的必然であること)は当事者間に争いはない。

そうすると、造語で示された新規な技術概念である「工具進入始点位置」と周知技術である「切削点近傍」とが同じ技術概念となることは、技術的にも論理的にもあり得ないことである。従って、「工具進入始点位置」と「切削点近傍」とは、異なった技術概念であることは明らかである。

従って、明細書の発明の詳細な説明の記載を参酌すると、本願発明における「工具進入始点位置」は、従来技術の「切削点近傍」と同一の位置となる可能性は全くないものである。

7 原判決は、最高裁判所の判決例で示されている『特許請求の範囲の記載の技術的意義が一義的に明確に理解することができない』という『特段の事情』があり、このような場合には、法令の規定及び審査の実務においても、一貫して、明細書の発明の詳細な説明の記載を参酌することになっているにもかかわらず、明細書の発明の詳細な説明を参酌することなく、造語に係る新規な概念である「工具進入始点位置」と周知技術である「切削点近傍」とが同じ位置であると認定したものであって、明らかに法令及び最高裁判所の判決例の適用を誤ったものであり、この認定を前提とする原判決は、法令及び最高裁判所の判決例に違背することは明らかであり、破棄することを免れないものである。

8 仮に、原判決が、本願明細書の発明の詳細な説明の記載を参酌したにもかかわらず、『確かに、本願明細書の発明の詳細な説明には、選択されたバイトが工具進入始点位置に早送りで送られ、次いで切削点近傍まで早送りで接近し、切削点近傍からは切削送りとなって所定の加工寸法まで送られる旨の記載がある(中略)が、これは本願第1発明の刃物台を装置したNC旋盤の1実施例(中略)に係るものにすぎず、』と認定し、『切削点近傍までの早送りの経由点であることを規定していない本願第1発明の「工具進入始点位置」を前記実施例の記載に限定して解釈すべき理由はない。(原審の判決書第十六頁第十二行~第十七頁第一行)』と認定したものとすれば、本願発明の技術内容を誤認したものであって、左記のように、明らかな齟齬の生じるものである。

<1> 前記したように、「工具進入始点位置」の語は造語であり、新規な技術概念であって、「切削点近傍」(切削送り開始点)が周知の技術概念(技術的必然)であったことは、当事者間に争いがない。

新規な技術概念である「工具進入始点位置」と周知の技術概念である「切削点近傍」とが同一の技術概念であることは、技術的にも論理的にもあり得ないことである。

原審の判決は、『切削点近傍までの早送りの経由点であることを(特許請求の範囲において)規定していない本願第1発明の「工具進入始点位置」を前記実施例の記載に限定して解釈すべき理由はない。』として、特許請求の範囲に規定されていないことのみを理由にして、新規な技術概念である「工具進入始点位置」と周知の技術概念である「切削点近傍」とが同一の位置であると認定したものであって、技術的にも論理的にもあり得ない判断である。

<2> 本願明細書の特許請求の範囲第1項には、「工具進入始点位置」については、『所定の工具による加工の終了後その工具の所定の後退位置から次に選択された工具の工具進入始点位置に最短時間で到達するように直接移動させる駆動制御手段とを有する』と記載されているのみである。

そして、発明の詳細な説明には、第3図に係る説明として、『工具進入始点位置は、バイトの主軸中心に向かって進入する送り方向に沿い、ワーク最大径dよりわずかな距離aだけ離れた位置に設定されており、本実施例では、主軸中心線を原点とする上下及び左右の直交座標の座標軸上に設けられている。選択されたバイトは、一旦この工具進入始点位置に達し、次いで切削点まで進入し、切込方向の送りが与えられて切削作業が行われる。例えば、バイト21cが選択されると、第3図に示すように工具進入始点位置に早送りで送られ、次いでパルスモータ18によって切削点近傍まで早送りで接近し、切削送りとなって所定の加工寸法まで送られ、主軸1が前進して切削作業が行われる。(特許公報(原審の甲第7号証)第四欄第一九行~第三二行)』と記載され、第4図、第5図に示された第2の実施例の説明では、『バイト21が45度ピッチで5本取付けられるバイトホルダ22を有している。この場合にも、(特定のバイトの送り速さが異なることを除き、)ほぼ同様に作動するものであり、(該特定のバイトをその異なる送り速さで送られるようにプログラムすることによって)容易に達成することが出来るので、詳細にわたる説明は省略する。(同第六欄第一行~第九行)』と記載されている。

<3> 前記明細書の記載には、「工具進入始点位置」は、『本実施例では、主軸中心線を原点とする上下及び左右の直交座標の座標軸上に設けられている。』と記載されているが、本実施例として説明されているのは、この引用した部分のみで、その後の『選択されたバイトは、一旦この工具進入始点位置に達し、次いで切削点まで進入し、切込方向の送りが与えられて切削作業が行われる。例えば、バイト21cが選択されると、第3図に示すように工具進入始点位置に早送りで送られ、次いでパルスモータ18によって切削点近傍まで早送りで接近し、切削送りとなって所定の加工寸法まで送られ、主軸1が前進して切削作業が行われる。』との記載は、前記第4図、第5図の実施例にもそのまま適用されるものであり、前記第4図、第5図の説明の記載では、バイトの配置と送り速さが相違していることのみを記載して、その余は『ほぼ同様に作動するものであり、』『容易に達成することが出来る』と記載するのみで詳細にわたる説明を省略していることからも、この記載は、本実施例(第3図の実施例)のみの説明ではなく、第4図、第5図の説明も同時に行っていることは明らかである。

また、『例えばバイト21cが選択されると、(中略)工具進入始点位置に早送りで送られ、(中略)切削点近傍まで早送りで接近し、切削送りとなって所定の加工寸法まで送られ、』と記載されて、この記載全体が例示であるかのように記載されているが、前記のように、第4図、第5図の説明の記載でバイトの配置と送り速さがのみが相違していること、及び、早送りで移動するNC工作機械においては、早送りを終了して切削送りを開始する点である「切削点近傍」(切削送り開始点)を要することは技術的必然であることを考慮すると、「例えば」の語は、「バイト21c」のみに掛かる副詞であって、この記載全体を例示として記載したものではないことは明らかである。

このことについては、原審原告は、原審における原告準備書面(第3回)の第二頁第七行~第四頁第一行において詳細に説明した。しかし、原審の判決書には、この説明を採用できない理由は勿論、この説明を検討したことも一切記載されていない。従って、原審の判決は、判決に理由が付されておらず、付されている理由にも齟齬があるものであることは明らかである。

二 原判決は、特許法第三六条第五項及び同施行規則(様式16)に違背するものである。

1 本願発明の出願当時の特許法第三六条第五項には、

『5 第二項第四号の特許請求の範囲には、発明の詳細な説明に記載した発明の構成に欠くことのできない事項のみを記載しなければならない。(後略)』

と規定されている。

そして、出願当時の特許法施行規則(様式16)の備考欄には、

『8 用語は、その有する普通の意味で使用し、かつ、明細書全体を通じて統一して使用する。ただし、特定の意味で使用しようとする場合において、その意味を定義して使用するときは、この限りでない。

(中略)

12 「特許請求の範囲」の欄には、第24条の2及び特許法第36条第5項に規定するところに従い、次の要領で記載する。

イ 「特許請求の範囲」の記載と「発明の詳細な説明」の記載とは矛盾してはならず、字句は統一して使用しなければならない。

(後略)』

と規定されている。

2 原判決の結論として記載された『仮に、原告主張のように、本願第1発明における「工具進入始点位置」との用語が周知技術における「切削点近傍」と異なる技術内容を持った新規な概念であるならば、その新規な技術内容を特許請求の範囲に規定してはじめて、本願第1発明が進歩性のある発明と評価されるものであって、本願の特許請求の範囲第1項の記載に基づく限り、そのように評価できないことは、前示説示のとおりである。(原審の判決書第十七頁第十八行~第十八頁第四行)』(傍線上告人)との記載によれば、従来技術と異なる技術内容を持った新規な概念は、その新規な技術内容を全て特許請求の範囲に記載しなければならないことを判示したものと認められる。

3 しかし、このような主張は、原審原告は勿論、原審被告も全くしていないものである。

原審被告の主張は、『なお、特許請求の範囲に記載されていない事項は、技術常識に属する事項であっても、発明の構成に欠くことができない事項といえないことは特許法36条5項から明らかである。(原審における被告の陳述書(平成七年十一月二七日付の陳述における別紙2)の第三頁第一行~第四行)』であり、

『当該発明の構成上必要な要件は、特許請求の範囲に余すことなく記載されなければならないものである。たとえ技術常識に属する事柄であっても、それが発明の必須な構成であるならば、当然に特許請求の範囲に記載されるべきであって、それを省略することは許されない。(原審における被告準備書面(第2回)第七頁第七行~第十三行)』である。

これに対して、原審原告は、原審における原告準備書面(第3回)第六頁第十八行~第九頁第八行において、特許法施行規則(様式16)及び前記『特許・実用新案 審査基準』の『3.3.1 特許法第36条第5項違反の類型』の

『(6) 請求項に記載された事項に基づいて、まとまりのある一の技術思想がとらえられない場合。

<1> 請求項の記載からみて明らかに構成要素が欠如している場合。ただし、出願時の技術常識からみて、欠如している構成要素が自明である場合は、違反とならない。』との規定に基づいて、審査の実務においては、技術常識から明らかな事項は特許請求の範囲に記載しなくても違法でないとして取り扱っていたことを明らかにした。この点については、この後、原審被告も争っていない。

原審の判決書における前記説示は、前記原審被告の主張のみを採用して、更に一面的な表現に書き改めたものである。原審被告の主張と原判決の説示とは、似て非なるものであり、原審被告も争っていない審査の実務とは明らかに相違するものであって、左記の重大な齟齬あるものである。

原審の判決書におけるこの説示は、特許法第三六条第五項の

『5 第二項第四号の特許請求の範囲には、発明の詳細な説明に記載した発明の構成に欠くことのできない事項のみを記載しなければならない。(後略)』との規定の解釈を、『新規な概念であるならば、その新規な技術内容を特許請求の範囲に規定してはじめて、本願第1発明が進歩性のある発明と評価されるもの』(傍線上告人)であると誤認したものであって、明らかに違法であり、破棄を免れないものである。

4 原判決の説示は、『従来技術と異なる技術内容を持った新規な概念は、その新規な技術内容を全て特許請求の範囲に記載しなければならない』とするものである。

これを本願発明に適用すると、造語であり、新規な技術概念を有する「工具進入始点位置」の従来技術と異なる技術内容を持った新規な概念の具体的な技術内容としては、特許請求の範囲に記載された

<1> 『所定の工具による加工の終了後その工具の所定の後退位置から次に選択された工具の工具進入始点位置に最短時間で到達するように直接移動させる』

ことの他に、原審の判決書の第十一頁第二行~第十二頁第十三行及び同第十六頁第十二行~第十六行に転記されている本願明細書の発明の詳細な説明の記載から、

<2> 『工具進入始点位置は、バイトの主軸中心に向って進入する送り方向に沿い、ワーク最大径dよりわずかな距離aだけ離れた位置に設定されており、(原審の判決書第十一頁第十八行~第二十行)』

<3> 『第3図にバイト21eの移動経路のいくつかが示されているように、(本願発明の特許請求の範囲の前段に記載されているような構成の刃物台では、次に選択された工具の現在位置から「工具進入始点位置」までの移動は、)どの経路を通っても他のバイト相互間又はワークとバイトとの間に干渉することは全くなく、最短の時間で到達するように設定することができる。(同第十二頁第二行~第六行)』

<4> 『選択されたバイトが工具進入始点位置に早送りで送られ、次いで切削点近傍まで早送りで接近し、切削点近傍からは切削送りとなって所定の加工寸法まで送られる(同第十六頁第十二行~第十五行)』

及び、判決書に引用されていない

<5> 『従来技術の「工具の切削送り開始点」、「工作物の上面より適宜クリアランスを置いた位置」は早送りを終了して切削送りを開始する点であり、工具進入始点位置は、早送りを終了して切削送りを開始する点である切削点近傍まで、次に選択された工具を早送りで送る際の経由点であること』

を特許請求の範囲に記載しなければならないことになる。

このように、『新規な技術内容』を特許請求の範囲を記載することが求められると、造語の場合には、一般に、関係する『新規な技術内容』は非常に多岐にわたることが多く、比較的簡単な本願発明の「工具進入始点位置」でも、前記のように『新規な技術も内容』として記載すべき事項は多くなるので、特許請求の範囲の記載は必然的に長文となり、煩雑なものにならざるを得ないことになる。

5 特許法第三六条第五項の規定は、『5 第二項第四号の特許請求の範囲には、発明の詳細な説明に記載した発明の構成に欠くことのできない事項のみを記載しなければならない。(後略)』であり、『発明の構成に欠くことのできない事項』のみを記載することを求めるものであって、『発明の構成に欠くことのできない事項』には含まれるとは限らない『従来技術と異なる技術内容を持った新規な概念』における『新規な技術内容を全て特許請求の範囲に記載しなければならない』ことを求めるものではないことは明らかである。

また、前記の特許法施行規則(様式16)備考8の規定は、造語等を特定の意味で使用するときは、その用語の意味を定義することによって、『新規な技術内容』を特許請求の範囲に記載しなくとも、造語を含む新規な用語の意味を『新規な技術内容』を含む『特定の意味で使用』することを認めていることを示している。

従って、造語であり、『新規な技術内容』を含む「工具進入始点位置」の語は、明細書の詳細な説明の欄で定義して使用する限りにおいて、この施行規則に違反しないものとなる。

尚、特許庁における審査の実務では、明確に「定義」として記載していなくても、実質的に定義されていれば足り、或いは、技術内容が当業者に理解できる程度に説明されていれば足りるものとされている。

このことは、前記『特許・実用新案 審査基準』に

『<2> 請求項に記載された用語の意味内容が発明の詳細な説明において定義又は説明されているか、又は、請求項の記載が明確でなく理解が困難であるがそれが発明の詳細な説明において明確にされている場合は、これらの用語、記載を解釈するにあたって発明の詳細な説明の記載を参酌する。(後略)』(傍線上告人)

と規定されており、前記『特許庁編 工業所有権法逐条解説』において、『発明の詳細な説明等にその意味するところや定義が記載されているときは、』(傍線上告人)と記載されていることからも明らかである。

6 本願発明においては、「工具進入始点位置」の語が造語であり、明細書の詳細な説明の欄で定義されていることは当事者間に争いはなく、『工具進入始点位置に早送りで送られ、次いで(中略)切削点近傍まで早送りで接近し、切削送りとなって所定の加工寸法まで送られ、主軸1が前進して切削作業が行われる。(特許公報(原審の第7号証)第四欄第二八行~第三二行)』との記載が定義に相当するか否かについて争いがあるのみである。

そうすると、原審の判決書の『仮に、原告主張のように、本願第1発明における「工具進入始点位置」との用語が周知技術における「切削点近傍」と異なる技術内容を持った新規な概念であるならば、その新規な技術内容を特許請求の範囲に規定してはじめて、本願第1発明が進歩性のある発明と評価されるものであって、本願の特許請求の範囲第1項の記載に基づく限り、そのように評価できないことは、前示説示のとおりである。(原審の判決書第十七頁第十八行~第十八頁第四行)』(傍線上告人)との判示は、発明の詳細な説明で定義すれば足りることを両者が認めている事項であり、当事者間の争点にはなっていない事項について判断したものであり、しかも、この判断は、特許法第三六条第五項及び同施行規則(様式16)の備考8に違背するするものである。

そして、原判決は、前記記載を前提として、『そうである以上、相違点3に係る本願第1発明の構成は周知技術と異ならないものといわなければならないから、これを引用例考案に適用して本願第1発明の構成とすることは、当業者が容易に想到できることと認められ、これと同旨の相違点3についての審決の判断は正当である。(原審の判決書第十七頁第十三行~第十七行)』と判示して、本願第1発明の進歩性を否定して審決を容認したものなので、判決の結論に影響を与えることは明らかである。

従って、原判決は、当事者の争わない事項について法令に違背する認定を行い、この認定を基にして判決したものであって、明らかに理由に齟齬あるものであり当然に破棄されるべきものである。

7 仮に、この判決が破棄されないで、判決例として確立すると、『新規な概念』は、その『新規な技術内容』を特許請求の範囲に記載しなければならず、次のような問題点が生じ、大混乱を起こすことになる。

<1> 前記「特許法施行規則」及び「審査基準」を改訂して、従来から行われてきた審査の実務を大幅に変更しなければならない。

<2> 造語の場合、各種の技術を組み合わせることによって造語で表現する新規な技術となることが多いので、どこまでを『新規な技術内容』として特許請求の範囲に記載しなければならないか、明らかでない。

<3> 権利行使する場合において、従来の審査の基準によって登録された特許の権利範囲が不明確となる。

8 特に、前記<3>項の場合には、従来の審査の基準にしたがって審査され、造語(新規な概念)の技術内容が特許請求の範囲に記載されていない状態で登録された特許権について権利行使しようとする際に、特許請求の範囲に『新規な概念の技術内容』が記載されていないので、特許の権利範囲の記載が不明となって権利行使が不可能になる可能性があり、仮に、権利行使をすることが可能であるとしても、新規な技術内容を特許請求の範囲に記載していない造語によってカバーされる権利範囲が、特許請求の範囲には記載されていないが発明の詳細な説明の欄(又は図面)に制限的に記載されている『新規な概念の技術内容』には制限されない非常に広い権利範囲となるものか、これによって制限される狭い権利範囲(従来の権利範囲)となるものかが問題となり、前者(広い権利範囲)であるとすれば、従来の判決例とは異なる非常に広い権利範囲となり、無効理由を含むものとなることは明らかであり、後者(狭い権利範囲)であるとすれば、審査(審判)における権利範囲の解釈と権利行使における権利範囲の解釈とが相違するという不合理な結果となる。

9 この点についての原審における原審被告の主張も法令及び審査の実務に違背するものである。

原審の判決書の前記『仮に、原告主張のように、本願第1発明における「工具進入始点位置」との用語が周知技術における「切削点近傍」と異なる技術内容を持った新規な概念であるならば、その新規な技術内容を特許請求の範囲に規定してはじめて、本願第1発明が進歩性のある発明と評価されるものであって、本願の特許請求の範囲第1項の記載に基づく限り、そのように評価できないことは、前示説示のとおりである。』との記載は、前記原審における被告の陳述書(別紙2)の『なお、特許請求の範囲に記載されていない事項は、技術常識に属する事項であっても、発明の構成に欠くことができない事項といえないことは特許法36条5項から明らかである。(第三頁第一行~第四行)』との主張の内容を誤認して記載したものと思われるので、以下、この原審被告の主張について検討する。

10 次の選択された工具が早送りで加工位置に前進するNC工作機械においては、早送りを終了して切削送りを開始するためには、『切削送り開始点』を要することは技術的必然である。そして、この『切削送り開始点』を、本願明細書では「切削点近傍」と称していることには、当事者間の争いはない。

また、この「切削点近傍」(切削送り開始点)は、非切削時間を短縮するためには、可能な限りワークの加工開始位置に接近させることが望ましいことは技術常識である。この点については、原審被告の提出した乙第一号証、乙第二号証からも明らかであり、前記原審における被告の陳述書(別紙2)の第一頁第十二行~第十六行にも『ワークの外表面から若干離れた位置まで工具を早送りし、しかる後に切削送りを与えて切削加工を行うことは、技術常識に属することである。』と記載している。

一方、本願発明は、明細書の目的の欄にも記載されているように、『バイト選択時における非切削時間の短縮』を目的とするものであり、本願発明は、『NC自動旋盤の刃物台』における『バイト選択工程』に係るものである。

本願発明における『バイト選択工程』は、特許請求の範囲に記載されているように、『所定の工具による加工の終了後その工具の所定の後退位置から次に選択された工具の工具進入始点位置に最短時間で到達するように直接移動させる』ものであることは、当事者間に争いはない。

そして、「工具進入始点位置」に到達した後は、通常のNC自動旋盤の工具選択工程と同様に、『パルスモータ18によって切削点近傍(切削送り開始点)まで早送りで接近し、切削送りとなって所定の加工寸法まで送られ、主軸1が前進して切削作業が行われる。(特許公報(原審の甲第7号証)第四欄第二九行~第三二行)』ものである。

この、「切削点近傍」(切削送り開始点)に達した後の工程は、前記『バイト選択工程』が終了した後の、選択されたバイトによって切削加工を行う工程であり、NC工作機械における最も主要な工程であることは当業者ならずとも常識に属することであり、本願発明においても、バイトによる切削工程においては、通常のNC自動旋盤による切削工程と同様の周知の切削工程が行われることは当然である。

一般に、発明においては、その発明に係る工程(本願発明では『バイト選択工程』)が終了した後の次工程(本願発明では、次工程の『切削加工工程』)に係る事項は、当該発明に係るものではないことは自明である。

従って、本願発明に係るものではない後工程(しかも技術常識)を本願発明の特許請求の範囲に記載しないことは当然であり、記載していなくても、本願発明が新規な発明として成立することに何の支障もないことは明らかである。

そして、新規な発明は、周知技術(技術常識)を含まないのが通常であり、『発明の構成に欠かせない事項のみを記載』(傍線上告人)することを要求する特許法第三六条第五項の規定に従っても、前記したように、周知技術(技術常識)を本願発明の特許請求の範囲に記載しないことは、何ら欠缺となることではない。

従って、本願発明において、NC自動旋盤の刃物台の動作に係る工程(『バイト選択工程』)であって、本願発明の要件の一部をなす「工具進入始点位置」まで移動させる工程のみを特許請求の範囲に記載し、技術常識であって本願発明の後工程となる「切削点近傍」(切削送り開始点)まで移動させた後に切削作業を行うことを記載しないことに何ら問題はない筈である。

11 一方、前記「特許・実用新案 審査基準」には、「3.3.1特許法第三六条第五項第二号違反の類型」として、

『(6) 請求項に記載された事項に基づいて、まとまりのある一の技術思想がとらえられない場合。

<1> 請求項の記載からみて明らかに構成要素が欠如している場合。ただし、出願時の技術常識からみて、欠如している構成要素が自明である場合ば、違反とならない。』

と規定されている。

この規定は、発明としての必須の構成要素が欠如している場合でも、出願時の技術常識からみて欠如している構成要素が自明である場合は、違反とならないことを示したものであり、本願発明のように、後工程にある技術常識を記載しないことは、何ら問題にならない筈である。

特許請求の範囲には、必要がない限り周知技術は記載しないのが従来からの慣例である。

12 更に、原審被告の主張する『なお、特許請求の範囲に記載されていない事項は、技術常識に属する事項であっても、発明の構成に欠くことができない事項といえないことは特許法第三六条第五項から明らかである。』との主張も、前記した「特許・実用新案審査基準」に明らかに反する主張である。

従って、仮に、原審の判決書の記載が誤記であって原審被告の主張に従うものであったとしても、本願発明の審理に採用することは、前記したように、明らかに失当であって、理由に齟齬あるものとなることは明らかである。

13 この判決に従うとすれば、次のような問題点が生じ、大混乱を起こす可能性が高いものである。

<1> 前記「特許・実用新案 審査基準」を改訂して、従来から行われてきた審査の実務を大幅に変更しなければならない。

<2> どこまで周辺の技術を構成要素として記載しなければならないか、明らかでない。

<3> 権利行使する場合、従来の基準によって登録になった特許の権利範囲が不明となる。(詳細は、前記二-7-<3>項参照。)

三 原判決は、特許法の条文適用に齟齬あり、法の規定に違背するものである。

本願発明の特許請求の範囲に記載された「工具進入始点位置」が、「切削点近傍」と同じ位置であるか否かが特許請求の範囲の記載では明らかでないことを理由にするときは、拒絶理由は、特許法第三六条第五項であって、同法第二九条第二項の

『2 特許出願前にその発明の属する技術の分野における通常のの知識を有する者が前項各号に掲げる発明に基づいて容易に発明をすることができたときは、その発明については、同項の規定にかかわらず、特許を受けることができない。』

ではないことは明らかである。

1 原審の判決書の記載は、そのほとんどが、特許請求の範囲に記載された「工具進入始点位置」が、「切削点近傍」と同じ位置であるか否かの検討に費やされている。

しかし、本願明細書の発明の詳細な説明の欄の記載には、原審の判決書の第十六頁第十二行~第十五行で引用しているように、『選択されたバイトが工具進入始点位置に早送りで送られ、次いで切削点近傍まで早送りで接近し、切削点近傍からは切削送りとなって所定の加工寸法まで送られる。』ことが記載されており、前記したように、「工具進入始点位置」と「切削点近傍」とが異なる位置であることは明白である。

2 原審の判決書の『第6 当裁判所の判断』の欄には、

『本願第1発明の「工具進入始点位置」が、(中略)従来から知られた技術概念として原告が主張する「切削点近傍」、すなわち、周知例1及び2で説明されているところの、工具の現在位置から目的の加工位置に到達するまでの間、無駄な時間を少なくするため早送りで移動させるための目標である「工具の切削送り開始点」、「工作物の上面より適宜クリアランスを置いた位置」と、異なる技術的意義をもつものであると理解することはできない。(原審の判決書第十五頁第十九行~第十六頁第十一行)』

『確かに、本願明細書の発明の詳細な説明には、選択されたバイトが工具進入始点位置に早送りで送られ、次いで切削点近傍まで早送りで接近し、切削点近傍からは切削送りとなって所定の加工寸法まで送られる旨の記載がある(中略)が、これは本願第1発明の刃物台を装置したNC旋盤の1実施例(中略)に係るものにすぎず、切削点近傍までの早送りの経由点であることを規定していない本願第1発明の「工具進入始点位置」を前記実施例の記載に限定して解釈すべき理由はない。(同第十六頁第十二行~第十七頁第一行)』

『したがって、この点からも、本願第1発明の「工具進入始点位置」が周知技術における「切削点近傍」と相違するものということはできない。(同第十七頁第十行~第十二行)』

と説示している。

従って、前記検討は、「工具進入始点位置」の語が、特許請求の範囲の記載において、「切削点近傍」と混同しない程度に明確であるか否かを検討しているものである。

この「工具進入始点位置」の語が明確であるか否かの問題は、特許法第三六条第五項に違反するか否かの問題であって、同第二九条第二項に違反する理由にはならない。

前記原審の判決書の『第6 当裁判所の判断』の欄の記載のように、周知技術(切削点近傍)を特許請求の範囲に記載していないので、「工具進入始点位置」と「切削点近傍」(切削送り開始点)が同じ点を含むと誤認する可能性があり、特許請求の範囲の記載が不明瞭であることを理由とするのならば、拒絶理由の適用条文は特許法第三六条第五項違反であり、審決の第二九条第二項違反ではない。

3 審決における拒絶理由の適用条項は、審決書(原審の甲第1号証)の第九頁第四行~第八行に記載されているように、特許法第二九条第二項のみである。審決において、同法第三六条第五項違反の拒絶理由は出されていない。

審決取消訴訟は、審判の結論(特許法第二九条第二項による拒絶の審決)が正当であるか否かの判決を求めるものであって、審判において検討していない事項について裁判所の判断を求めるものではないことは判決例等で明らかにされており、審決において検討されていない新たな拒絶理由(特許法第三六条第五項違反)は、特許庁の判断に委ねることが法の定めるところである。

最高裁判所大法廷の判決 昭和四二年(行ツ)第二八号(判決言渡昭和五一年三月十日)「編物機事件」(最高裁判所裁判集民事三〇・二号七九頁、判例タイムズ三三四号一一三頁、判例時報八〇六号一三頁)においても、審判において審理の対象とならなかった事項は、訴訟の対象とならないことが明らかにされている。

従って、この判決は、適用条文を誤ったものであって、当然に破棄されなければならないものである。

四 原判決は、特許法施行規則(様式16)に違背するものである。

1 原審の判決書には、『したがって、この点からも、本願第1発明の「工具進入始点位置」が周知技術における「切削点近傍」と相違するものということはできない。(原審の判決書第十七頁第十行~第十二行)』と認定している。

この認定は、本願明細書の詳細な説明の欄の記載と明らかに矛盾するものである。

2 本願明細書の詳細な説明の欄には、原審の判決書の第十六頁第十二行~第十五行で引用しているように、『選択されたバイトが工具進入始点位置に早送りで送られ、次いで切削点近傍まで早送りで接近し、切削点近傍からは切削送りとなって所定の加工寸法まで送られる』ことが記載されている。

しかし、本願第1発明の「工具進入始点位置」が周知技術における「切削点近傍」(切削送り開始点)と相違しないもの、即ち、「工具進入始点位置」と「切削点近傍」とが同じ位置であると解釈すると、バイトが「切削点近傍」に到達しても、依然として

「工具進入始点位置」にあることになり、「工具進入始点位置」を経由して「切削点近傍」に到ることは不可能になる。

そうすると、本願明細書(特許公報(原審の甲第7号証)第四欄第二八行~第三二行)記載の「工具進入始点位置に早送りで送られ、次いで(中略)切削点近傍まで早送りで接近し、切削送りとなって所定の加工寸法まで送られ、主軸1が前進して切削作業が行われる。」との記載と完全に矛盾することになる。

3 本願発明の出願当時の特許法施行規則(様式16)の備考欄には、『12 「特許請求の範囲」の欄には、第24条の2及び特許法第36条第5項に規定するところに従い、次の要領で記載する。

イ 特許請求の範囲」の記載と「発明の詳細な説明」の記載とは矛盾してはならず、字句は統一して使用しなければならない。』

と規定されている。

4 従って、本願明細書の特許請求の範囲に記載された「工具進入始点位置」と、詳細な説明の欄に記載された「工具進入始点位置」の意味は同じ意味であり、矛盾するものではない筈である。

そうすると、本願第1発明の「工具進入始点位置」は、『選択されたバイトが工具進入始点位置に早送りで送られ、次いで切削点近傍まで早送りで接近し、切削点近傍からは切削送りとなって所定の加工寸法まで送られる。』との記載と矛盾するものではなく、「工具進入始点位置」を経由して「切削点近傍」まで早送りで送られるものであって、『周知技術における「切削点近傍」と相違しないもの』、即ち、「工具進入始点位置」が「切削点近傍」と同じ位置であるとする解釈はあり得ないことになる。

5 「特許請求の範囲」の記載に「工具進入始点位置」が経由点であるとの記載がないからといって、本願明細書の記載が特許法施行規則に違反していることを前提とする用語の解釈を採用することは許されないことである。

従って、原判決の「工具進入始点位置」の認定は、本願明細書の記載が、特許法施行規則(様式16)の備考12に違背していることを前提とするものであって、到底許されるものではなく、原判決は、当然に破棄されなければならないものである。

以上

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